2021.03.03
日本酒杜氏の神様「農口尚彦研究所」に訪問いたしました。
小松の地酒。「農口尚彦研究所」に杜氏の神様がいらっしゃいます。
粟津温泉。のとやから車で約15分。山奥の美しい緑と水源に囲まれたなかに、
張り詰めた空気感と自然に調和した姿で。『農口尚彦研究所』があります。
スタッフの研修を兼ねて、現在の名工と言われます農口尚彦様
「全国新酒鑑評会」では金賞連続12回、通算27回という華々しい受賞歴。
他の酒造が鑑評会のためだけに造っていた吟醸酒を市場に送り出して「吟醸酒ブーム」を生み、その名を全国にとどろかせました。
2006年には厚生労働省認定「現代の名工」に輝き、2008年には黄綬褒章(おうじゅほうしょう)も受章、
「日本酒の神様」のお酒づくりの姿と
お話を聞きにお邪魔いたしました。
日本酒造りの名工。農口尚彦とは
能登半島の珠洲の生まれ。父も祖父も杜氏という杜氏一家に1932年(昭和7年)生まれ、年齢は88歳。
その年齢を感じさせない、酒造りへの情熱と真剣な眼光と笑顔がとても印象的でした。
父親には、酒造りか和菓子作りの職人になるように言われたそうです。
それは、米を食べることに困らない。生きていくことがちゃんとできるから。
16歳で三重県の酒造へ見習いとして蔵入り。
作業は非常に厳しく、寝るまもなく働き。酒造りに打ち込み、麹(こうじ)造りなどの猛勉強をし、
28歳で石川県に帰り、鶴来の酒蔵「菊姫」で自信をもって酒造りをすることになりましたが。
最初は、地元石川県では全く売れずに評判もさっぱりだったとのお話でした。
三重のお酒は、香りが強く優しい飲みやすい酒。加賀・鶴来の酒は、1日の厳しい労働を終えた晩酌で飲むことが多かったから栄養剤に近いような、濃くてエネルギッシュな酒を地元の人が求めてる事で全くタイプの違う酒造りを勉強されました。
88歳にして現役。時代に合わせて進化する、農口尚彦杜氏の酒
若い時に何度も挫折して。濃い酒と香りの強く優しい酒の両方の酒造りを身に着けた農口杜氏。
「加賀菊酒の濃い酒」も、生活環境も変わり。現代はニーズが変わり「米の旨みは感じつつ喉を通るとサーッとキレる酒」が今は求められていると言います。
「旨みを出そうとすると重くなる。キレを良くすると薄くて辛くなる。バランスが難しいんですよ」と苦笑い。
それでも嗜好(しこう)の変化をいち早く感じ取り、時代を先取りした酒を造ることこそ、農口杜氏の生きがいなのだそうです。
酒造りの名工。農口杜氏はお酒を飲まない
酒造りに生涯を捧げてきた農口杜氏ですが、実はお酒を飲まない。
一合も飲むと酔っ払ってしまい。仕事以外では一切お酒を飲まないそうです。
お酒が飲めない。飲まないからこそ。人の意見を素直に聞いて多くの人に喜ばれるお酒を研究できてるとのお話。
ここ。「農口尚彦研究所」は、若き蔵人たちを育てる事も目的の一つ。
若い蔵人と一緒に今でも、率先して新しいお酒。麹を育てるんだと目を輝かせて
幸せそうなお顔で多くを語っていただきました。
旅亭懐石のとやで味わえる神様のお酒
のとやに。農口杜氏の代名詞。「山廃仕込」
山廃とは「山卸廃止酛(やまおろしはいしもと)」の略で、米を櫂棒(かいぼう)で磨りつぶす「山卸」という作業を廃止して仕込んだ酛(もと=もろみを発酵させる元になるもの)のこと。
これにより造られた酒が「山廃仕込み」と呼ばれています。
手間も時間もかかるので一時期全国的に衰退しましたが、農口杜氏の手により見事に復活。
その農口杜氏本人が造り出す、米の旨みを最大限に引き出した芯の強い味わいとほのかな酸味が絶妙なバランスです。
と「純米酒」
酒蔵周辺の農家が栽培した酒米を100%使用。米そのものの味わいが染み渡り、フローラルな香りが満ちあふれます。
をそろえております。
同じ水源で作った板長が作る日本料理との相性はもちろん抜群です。
ぜひ、御賞味くださいませ。
農口尚彦研究所さんは、のとやから車で15分です。酒蔵見学にもぜひ。