2019.05.01
創業七百八年のとやが迎える 令和元年
令和元年が百一回目のスタートとなります。
のとやは、西暦千三百十一年。応長元年の創業という印がお寺に残っております。
平成が応長から数えてちょうど百回目の元号であり、
令和が百一回目の新しい元号を迎えたことになります。
昭和 平成は激動の時代でした。
昭和時代と平成時代はまさに旅館業界にとっては激動の時代でした。
のとやは長くは旅館業というより大きな農家であり、その年にとれた作物や近隣の海から捕れる海産物により、
地元の名士が、温泉を楽しみ、日本料理とお酒を楽しむ温泉旅館でありました。
元来、加賀百万石の加賀藩は日本一大きな外様大名である為、常に徳川の監視も厳しく、
徳川時代への忠誠心として、遊びの文化を奨励し、日本踊りや小唄、などの芸事が大変盛んで、
加賀百万石では、温泉地では遊ぶ、芸事をお披露目する場所でもありました。
その時代は各旅館から、食事の時間になりますと、小唄や太鼓、芸者さんの三味線がなり華やかな時代でありました。
昭和の高度成長期に国内旅行ブームがおこり、関西や中京の方から、
会社の旅行や各種団体協会の旅行に、加賀百万石文化の絢爛豪華な雰囲気を楽しみに加賀温泉郷にバスの団体がたくさんいらっしゃいました。
加賀温泉は、粋で艶っぽい金沢の奥座敷として長年愛されていたのが、この当時から旅行社からの大量送客と大型化指導により団体中心のイメージに変わってしまったような気がいたします。
(昭和40年当時ののとや)
旅館産業の危機。
平成に入り、バブル崩壊で団体客も少なくなり、設備投資過多の旅館が多く最盛期に比べまして、旅館の数も観光客も半分となりました。
そして、インターネットの普及により、急激な個人客の旅行者ブームとなり、海外からの団体が増えたのも平成の時代からだと思います。
旅行社の指導により、無駄をなくし、お客様の望む低価格での薄利多売。マーケティングにより多くの人に好かれる旅館づくりを勧めたことにより。
私が思う、個性的で粋な旅館文化が日本中から無くなるのではと心配しております。
(昭和40年当時ののとや)
令和の時代ののとや
平成の時代は。多くのお客様に来ていただく為のサービスが一番となり、旅館の個性や温泉地や地域の個性が無くなったと思われます。
令和時代ののとやは、個性的であり、数の多さを求めるより、深いおつきあいをお客様との関係を持ちたいと思います。
個性的であることは、万人に支持されず誤解されることも多いのではと思いますが、
旅館業の原点である、のとやの御贔屓様をどれだけ増やせるか、効率でなく、不便さの中にある愛しさを考えた旅館作りをスタッフと一緒に考えたいと思います。
少し時代遅れで、ちょっとお節介な旅館を女将を中心としたスタッフで頑張りたいと思います。