石川県の中央部に位置する金沢は、
江戸時代に加賀、能登、越中の3国の
大半を領地とした加賀藩の城下町として
栄えた、北陸一の地方都市です。
1488年、加賀一向宗の門徒が加賀の
守護大名である富樫政親を滅ぼした後、
約100年の間、加賀は「百姓のまち」と
呼ばれました。
1546年に一向宗の中核を成した人々が
現在の金沢城跡に金沢御堂という
建物を建立。1583年には前田利家が入城し、
城下町の建設が始まり、1680年頃までには
主要な都市構造が完成したと言われています。
前田利家は戦国時代、織田信長時代に
家臣、豊臣秀吉時代は大名、
徳川家康時代には最大大名となり、
前田家は大名中最大の102万5千石を
領していたため、大変豊かな財政でした。
江戸時代、加賀藩は豊かな財力で
漆工や金工、陶芸といった美術工芸など
職人の技術向上に力を入れてきました。
そのため金沢では様々な工芸の技術が発達し、
今でも大切に受け継がれています。
最も代表的で美しい工芸品である九谷焼や、
染物では加賀友禅が知られ、特に金沢箔は、
技術の高さ、質の良さから、全国の金箔製造の
99%を占めています。浅野川の清流では
現在も友禅の染料を落とす
友禅流しをする光景を見ることができ、
冬の風物詩となっています。
戦火にみまわれることがなかった金沢の
市内には、平和が保たれてきたことにより、
数多くの文化財や古い町並みが残っています。
全国的に有名な兼六園、金沢城跡、
町家や武家屋敷、茶屋町、および寺院群など、
城下町時代築かれた良好な歴史的景観が
残っています。
加賀の国・山科の里にいた「藤五郎」という
貧乏な男がいました。
近くの山へ出かけては、自然薯(じねんじょ)
という山芋を掘って生活をしていたのですが、
ある日、山芋を掘りに行ったところ、
山芋の髭に黄金の砂金のついた山芋を
掘り当てました。その山芋を洗った沢が、
「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、
そこから「金沢」の地名の起こりとなりました。