金沢城
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第1回
「金沢」を知る


加賀百万石の城下町
「金沢」

九谷焼

石川県の中央部に位置する金沢は、
江戸時代に加賀、能登、越中の3国の
大半を領地とした加賀藩の城下町として
栄えた、北陸一の地方都市です。

1488年、加賀一向宗の門徒が加賀の
守護大名である富樫政親を滅ぼした後、
約100年の間、加賀は「百姓のまち」と
呼ばれました。
1546年に一向宗の中核を成した人々が
現在の金沢城跡に金沢御堂という
建物を建立。1583年には前田利家が入城し、
城下町の建設が始まり、1680年頃までには
主要な都市構造が完成したと言われています。

前田利家は戦国時代、織田信長時代に
家臣、豊臣秀吉時代は大名、
徳川家康時代には最大大名となり、
前田家は大名中最大の102万5千石を
領していたため、大変豊かな財政でした。

金沢の伝統技術

金沢の伝統技術

江戸時代、加賀藩は豊かな財力で
漆工や金工、陶芸といった美術工芸など
職人の技術向上に力を入れてきました。
そのため金沢では様々な工芸の技術が発達し、
今でも大切に受け継がれています。

最も代表的で美しい工芸品である九谷焼や、
染物では加賀友禅が知られ、特に金沢箔は、
技術の高さ、質の良さから、全国の金箔製造の
99%を占めています。浅野川の清流では
現在も友禅の染料を落とす
友禅流しをする光景を見ることができ、
冬の風物詩となっています。

金沢の街並み

金沢の街並み

戦火にみまわれることがなかった金沢の
市内には、平和が保たれてきたことにより、
数多くの文化財や古い町並みが残っています。
全国的に有名な兼六園、金沢城跡、
町家や武家屋敷、茶屋町、および寺院群など、
城下町時代築かれた良好な歴史的景観が
残っています。

金沢

「金沢」名前の由来

加賀の国・山科の里にいた「藤五郎」という
貧乏な男がいました。
近くの山へ出かけては、自然薯(じねんじょ)
という山芋を掘って生活をしていたのですが、
ある日、山芋を掘りに行ったところ、
山芋の髭に黄金の砂金のついた山芋を
掘り当てました。その山芋を洗った沢が、
「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、
そこから「金沢」の地名の起こりとなりました。


のとやのこだわり


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